競技を引退したら何もなくなった。スポーツしかやってこなかった人が、進路で詰まる本当の理由


私は高校3年生で新体操をやめました。

小さい頃から続けてきて、国体にもインターハイにも出ました。生活のほとんどが新体操でした。

そして引退したとき、残ったのはこれだけでした。

新体操がない人生に自信もなく、それ以外に何もなかった。

強がりも脚色もなく、当時の感覚そのままです。

この記事は、競技を引退して進路が決まらない人に向けて書いています。そして結論から言うと、私はこのあと、もう一度同じ状態になりました。 26歳で、職歴のないまま就職活動をしたときです。


あれは、人生で最初の「空白期間」だった

いま振り返ると、高校3年の引退は私にとって最初の空白期間でした。

期間としては短いかもしれません。でも空白期間の本質は、時間の長さではないと思っています。

自分を説明する言葉を、失うこと。

それまでの私は、「新体操をやっている人」でした。自己紹介でも、周りからの認識でも、自分の中でも。その一語で説明が済んでいました。

引退した瞬間、その言葉が使えなくなります。残るのは「新体操をやっていた人」だけ。過去形です。

何もなくなったように感じるのは、実際に何もないからではなく、自分を説明する言葉がなくなるからです。

これは、職歴がない人が感じるものとまったく同じです。「働いていない人」としか自分を説明できなくなる。だから、この記事は既卒の話でもあります。


競技経験者が進路で詰まる3つの理由

私の実感と、その後いろいろ考えてたどり着いた整理です。

① 評価軸が1つしかなかった

競技をやっていると、評価はとても分かりやすいです。勝つか、負けるか。記録が伸びるか、伸びないか。

この世界に長くいると、「評価される」=「結果が出る」だと思い込みます。

ところが進路の世界には、その軸がありません。どこに行けば「勝ち」なのか誰も教えてくれない。判断基準そのものを自分で作る必要があるのに、それをやったことがない。 ここで固まります。

② 時間の使い道を、自分で決めたことがない

練習時間は決まっています。大会の日程も決まっています。何時に何をするかを、自分で決める必要がありませんでした。

引退すると、急に全部が自由になります。自由は、慣れていないと苦痛です。 何をしていいか分からない時間が、1日に何時間も生まれる。

③ 「頑張った」を、他人に伝わる言葉に翻訳できない

これが就職活動で直接効いてきます。

競技の世界では「毎日3時間練習した」で伝わります。でも面接官には伝わりません。彼らが知りたいのは、それによって何ができるようになったのかだからです。

インターハイ出場と書いても、その事実が仕事のどこで効くのかを説明できないと、ただの事実で終わります。


引退したあと、私がどうしたか

正直に書くと、自分では決めていません。

進学先は、高校の先生が指定校推薦の枠の中から選んでくれました。理由はこうでした。

就職にも、編入学にも転べるから。

つまり、いま決めなくていい場所を勧められたわけです。

当時の私は、その意味を深く考えていませんでした。自分で選ぶ力がなかったので、勧められたところに行った。それだけです。

でも、あの選び方は正しかった

いま振り返ると、この判断にはかなり助けられました。

私はそのあと実際に短大から編入していますし、その先で大手の内定を辞退して、宮城に行って、26歳で就職活動をしています。何度も進路を変えました。

もしあのとき「この道しかない」という場所を選んでいたら、たぶん途中で動けなくなっていたと思います。

決めきれないときは、決めなくていい場所を選ぶ。 これは逃げではなく、ひとつの戦略だと思っています。引退直後に「一生の仕事」を決めようとすると、たいてい固まります。次に選び直せる場所に立つ、くらいでちょうどいい。

そして、動くきっかけは毎回、外から来ました

もうひとつ、あとから気づいたことがあります。

進学先は、先生が選んでくれました。宮城に行ったのは、叔父から「人生変えたいなら来い」と電話が来たからです。転職フェアに行ったのも、親が車の運転中にポスターを見かけて「お前、行ってこい」と言ったからでした。

3回とも、自分の強い意志で動いたわけではありません。 外から来た声に乗っただけです。

だから、「自分で決められない」ことを責めなくていいと思っています。必要なのは、決断力ではなく、声が届く場所にいることと、来たときに乗れる状態でいることです。


競技経験は、職務経歴に翻訳できます

①〜③のうち、③だけは今日から直せます。

競技でやってきたことを、そのまま書いても伝わりません。採用側が使っている言葉に置き換えます。

競技でやっていたこと仕事の言葉にすると
毎日決まった時間に練習していた自己管理。習慣を維持する力
記録や動画を見て改善した数値・記録をもとに改善する進め方
大会に向けて逆算して調整した期限から逆算した計画の立て方
チーム・後輩をまとめた年下への指導、チーム内の調整
ケガから復帰した想定外の事態への対処、継続力

「インターハイに出ました」だけだと、すごさは伝わっても仕事との接続がありません。 でも「目標から逆算して半年単位で調整するやり方を続けてきた」と言えば、仕事の話になります。

大事なのは、盛らないことです。やっていないことを書く必要はありません。やったことを、相手の言葉に置き換えるだけです。


26歳で、もう一度同じ状態になりました

冒頭に書いたとおり、私はこのあともう一度、同じところに戻りました。

大学を出て、大手商社の内定を辞退して、そこから約3年、正社員として働いていません。26歳で就職活動をしたとき、私の職歴欄は空白でした。

「働いている人」と名乗れない。高校3年のときと、同じ構造です。

ただ、2回目は不安がありませんでした。

理由ははっきりしています。その3年間を、自分の言葉で説明できたからです。

宮城で叔父のもとで2年半、釣り堀の運営とSNSでの集客と渓流魚の養殖をやっていました。給料は1円も出ていません。夜はコンビニでアルバイトをして、生活費は自分で賄っていました。

面接では、これをそのまま話しました。 結果として内定が出ました。

高校3年のときに持っていなかったもの、それは経歴でも実績でもなく、自分の時間を説明する言葉でした。


同じ場所にいる人へ

競技を引退して、何も残っていないように感じている人へ。

何もないのではなく、まだ言葉になっていないだけです。

いますぐできることを1つだけ挙げるなら、競技でやってきたことを紙に書き出すことです。試合の結果ではなく、日々やっていたことを書いてください。

  • 何時に起きて、何時間練習していたか
  • 調子が悪いとき、何をして立て直したか
  • ケガをしたとき、どう過ごしたか
  • 後輩に何を教えていたか

この中に、必ず仕事に翻訳できるものがあります。 そして書き出す作業そのものが、失った「自分を説明する言葉」を作り直す作業になります。

私はそれを、10年近くかけてやりました。もっと早くやればよかったと思っています。


関連記事

職歴のない期間を、履歴書にどう書くか。記入例はこちらです。

空白期間は履歴書にどう書くか。そのまま使える記入例と、書いてはいけないこと

面接で空白期間について聞かれたときの答え方の型はこちらにまとめています。

空白期間を面接でどう答えるか。使える「3ステップの型」と状況別の例文

26歳・社会人歴0年から、どう内定に至ったのか。一部始終はこちらです。

26歳・職歴なし。給料ゼロの2年半を経て、2社受けて内定が出た話

タイトルとURLをコピーしました